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2013年9月

遼寧賓館(旧奉天ヤマトホテル)

大昔の地球の歩き方を処分するついでに、ページをパラパラめくってみたら、こんなものが出てきた。




Liaoninghotel



遼寧賓館とは、遼寧省の瀋陽にある老舗のホテルで、元々はヤマトホテルといい、満州国時代に満鉄が建設し経営していた高級ホテルである。かの李香蘭がデビュー前にリサイタルを開いていたホテルといえば、ピンと来る人もいるのでは。

私は、遼寧賓館のような高級ホテルに泊まるはずなどなく、瀋陽駅のすぐ近くの中国人用旅社に泊まっていたのだが、遼寧賓館の近くを通った際に、見物がてらフロントで道を訪ねてみた。さすがは高級ホテルだけあって、フロントのおじさんも、見ず知らずの小日本に対しても丁寧に応対してくれ、ホテルの便箋に簡単な地図を書いてくれた。

この地図やガイドブックの情報を頼りに、市バスを乗り継いで行き着いたのは、満州事変の発端となった柳条湖事件の柳条湖である。今は、南京の反日テーマパークと並ぶ捏造反日教育の総本山「9.18事変記念館」とか何とかいう名前の大仰な建物があるらしいが、当時は、線路横に古い記念碑があっただけで、東北の寒々とした風景が広がっていた。

私が、瀋陽みたいな何もない町を旅した目的は、この柳条湖と張作霖爆殺事件の現場を訪れることだったのだが、どちらも線路以外に何もなく、写真を撮っていた私を地元民が珍しそうに眺めていた記憶がある。当時の中国では、カメラもフィルムも、ものすごく高価だったので、何であんな何もない場所の写真を撮るのか理解できなかったのかもしれない。当時の写真は、実家のどこかに転がっているはずなので、いつか機会があれば探してきます。

あの頃の中国は、ちょうど江沢民が反日教育を強化し始めて間もない頃で、人民の反日度もそれほど高くはなかった。私も、若干左寄りの純粋な青年だったので、中国様のいう「歴史を直視」することが日本人としてあるべき姿だと考えていた。何せ、初中国で、上海に上陸すると、真っ先に行ったのが南京の記念館だったからなあ。

もちろん、「南京大虐殺」は事実だと信じて疑わなかったし、数字は問題ではないと考えていた。そんな過去があるので、今でも中国様のプロパガンダを信じている人の気持ちも分からないではない。その後、数々の中国人様との心温まる交流を経て、私の考え方も徐々に変わっていく訳であるが、我ながら若かったね。 瀋陽もハルビンも、今行くとそれなりに面白いのかもしれないが、あまりいい思い出がないので、たぶんもう行くことはないだろうなあ。
   
ってことで、この地図も、デジタル化したついでに処分することにした。遼寧賓館のおじさん、ありがとうね。














Under A Glass Moon(南国の青いコメ)

タイ南部の町チュンポンで見かけた怪しげな日本料理屋。



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反日基地外国家の中国や韓国とは違い、親日国家のタイでは、日の丸を掲げていても暴徒に襲撃されることはありません。ま、それが普通の国なんだが…。タイ人のタイ人によるタイ人のための日本料理屋なので、我々の想像を絶するような日本料理が出てくるんだろうけど、日の丸はともかく、このイカ焼きや焼き鳥の垂れ幕って、一体どこで買ってくるんだろうね?



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そのなんちゃって日本料理店の近くでは、ランブータンを売っていた。1キロ25バーツ(約75円)。近くの農民がピックアップトラックに積んだ果物や野菜を路上で販売しているのは、タイではよく見かける光景である。市場で売ると場所代がかかるので、この方が儲かるのかな? 

 


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その横では、モチ米をバナナの皮で包んだタイ風チマキの屋台が出ていた。母娘だろうか。ピンクの服を着た右側のおばお姉さんは、なぜか日本語が話せて、私が何日か通うといつもにっこり微笑んでくれた。バンコクやチェンマイならいざしらず、日本人なんてほとんど来ない小さな田舎町で、何で日本語が話せるのかな?




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そのチュンポンでの朝食。ランブータン、前日に市場で買ったバナナ、そしてタイ風チマキ2個。ランブータンは、日本ではほとんど見かけないが、中国名を红毛丹といい、広西や雲南でもよく食べた。味は中国もタイも変わらないが、値段はタイの方がかなり安い。

 


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チマキの中身はこんな感じ。甘辛く煮込んだ豚肉をモチ米と合わせて軽く握ってある。1個10バーツ(約30円)。なかなかうまいよ。このモチ米は、長粒種で少し青味がかっているのだが、こういう種類のコメなのだろう。米作が盛んなタイでは、赤や黄色など色のついたコメもよく見かける。味は、あんまり変わらないけどね。

同じ米どころでも、雲南・タイ・ラオス、ところ変わればコメの食文化も微妙に異なるようで。









Dream Theater - Under A Glass Moon

 




勇敢

昨日からニュースで何度も報じられているが、この人の勇気と行動力には、ただただ驚くしかない。立派な若者だ。



中国人留学生:命懸けで小4救助 大阪府警が表彰



http://mainichi.jp/select/news/20130918k0000e040216000c.html



もし自分が同じ立場なら、自らの命を危険にさらして、見ず知らずの子どもを助けるために濁流に飛び込む勇気はない。上海人の厳俊さん、ほんとすごいわ。親御さんも、きっと立派な人なのだろうね。参りました。


勇救落水男童中国留学生“正能量”感动日本


中国留学生跳河中救日男孩 网友:中国人太勇敢


http://comment5.news.sina.com.cn/comment/skin/default.html?channel=gn&newsid=1-1-28236423
新浪のコメント欄には5000近くのコメントが付いているが、さすがに中国ネットユーザーの反応も、今回はまともなものが多い。と思ったけど、今見直すと、ゴミみたいなコメントも多いな。ま、いつものことか。

厳俊さん、ありがとう。助かった男の子も、厳俊さんも、命は大切にね。










張惠妹-勇敢










Greensleeves(観光地化されていない観光地)

大理古城の外れを歩いていたら、白族伝統家屋の院子で読書をする髪の長い女性の姿が目に入った。



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大理も、麗江ほどではないが、雲南を代表する観光地なので、行く度にマイナーチェンジはしている。それでも、古い物と新しい物が許容範囲内で融合しており、古城内には今でも伝統的な雲南の生活風景が残っている。

旅行関係の掲示板では、「観光地化されていない穴場を教えてください」なんて質問を時折見かけるけど、中国に限らず、観光地でも少し街外れに歩くだけで、地元民がごくごく普通の暮らしをしている光景を見ることができる。

ガイドブックで紹介されている観光名所を全て制覇したり、質問サイトで集めた情報を辿る旅も楽しいだろうけど、自分の足で異国の街を歩いて、自分だけの風景を見つけるのも旅の楽しみだよね。私は、おっさんになって感性が鈍麻したためか、世界的に有名な名所旧跡の類を見ても、「ふ~ん」としか思わないんだが、路地裏や市場を徘徊していると楽しくて仕方がない。

やっぱり、人間、年を食うと、好みや興味の対象が変化するのかな。とも思ったが、初めて中国を旅した時も、万里の長城より北京の路地裏を歩いている方が楽しかったから、元々、きれいな景色より路地裏の猥雑さが好きな人間なんだろうね。

 







Blackmore's Night - Greensleeves

 

Rock 'N Roll Train(熱帯の貧民列車)

タイの首都バンコクのファランポーン駅(バンコク中央駅)。
 


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1897年に開業したという歴史のある古い駅だ。中国の北京駅や瀋陽駅と同様、歴史を重ねてきた駅舎には、上海南駅や昆明駅なんかの安っぽいハリボテと違って、重みがあるよね。
 
 

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バンコク中央駅の待合室。蒸し暑いバンコクだが、ここは空調が入っていて涼しい。タイの鉄道は、設備が古く、速度も遅いので、お金持ちは飛行機や高速バスを使うが、3等車の運賃は非常に安いので、利用するのは貧民層か物好きな外国人旅行者が多い。とある町で、ツーリスト・インフォメーションのお姉さんに、「あなたがバンコクに行くとしたら、列車とバスのどちらを使うか?」と聞いたら、迷うことなく「バス」という答えが返ってきたよ。タイ人にとっても、列車は遅くて不便らしい。



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バンコク中央駅の切符売り場。窓口では英語が通じるし、駅員も笑顔で接してくれる(別の日にこの駅に来たら、携帯をいじりながら応対する、全くやる気のない無愛想なクソ女がいやがったが…)。もちろん、タイにもアホな駅員はいるが、少なくとも、どこかの国と違って、駅員に罵倒されたり、人民に割り込まれることはないよ。



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私が乗ったのは、19時30分発のバンコク発ナコンシータマラート行き急行である。本当は、22時の特急に乗りたかったが、切符は全て売り切れていた。



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日本の駅と同じように、中国の駅には改札があり、発車直前にならないとホームに入ることはできないが、タイの駅には改札がない。出入り自由なので、地方の駅に行くと、そこらへんのおっさんやおばはんが意味もなくウロチョロしていたり、駅のホームで野良犬が寝ていたりする。



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タイ国鉄のディーゼル機関車。見たところ、中国の機関車よりも古いな。相当な年代物なんだろうね。



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タイの国鉄には、ブルートレインを始めとして、日本の国鉄やJRのお下がり車輌が多いらしいが、今回、それっぽいのは見かけなかった。



【参考】タイ国鉄JR西日本譲渡車両
http://www.2427junction.com/thailandreportjr.html



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硬座3等車の車内。現地時間で深夜の3時46分。バンコクを出て8時間経ち、さすがに乗客もぐったりしている。当然、エアコンなどあるはずもなく、窓からは南国の熱風が吹き込んでくる。エアコン付き指定席の2等車に乗りたかったが、3等車の切符しか残っていなかった。



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タイ国鉄の3等車には、物売りのババアが勝手に乗り込んできて、駅弁やら果物、飲み物なんかを売りに来るが、商魂たくましいタイババアも、さすがに深夜には営業しないようだ。貧民列車だからという訳ではないだろうが、乗客のマナーは、決して良いとはいえない。しかし、ゴミをまき散らしてタンを吐き、通路でガキに小便やウンコをさせる中国の硬座よりははるかにマシである。



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9時間の列車の旅を終え、タイ南部の町チュンポンで下車。この町は、リゾート地のタオ島の玄関口なので、西洋人旅行者が何人も下車していった。ちなみに、バンコク→チュンポンの3等車の切符は、232バーツ(約700円)である。
 


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町が目覚めるまでしばらく時間があるので、駅のベンチで横になり、1時間ほど眠る。蚊にも刺されず、爆睡したが、夜中でも結構人がいるので、とくに危険だとは思わなかった。ただ、良い子は真似しない方がいいかもね。



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バンコクから伸びるレールは、さらに南部の町ハジャイ等を経て、マレーシア、シンガポールまで約2,000キロを結んでいる。 いわゆるマレー鉄道だね。



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チュンポンの駅前には、イギリス製の古い蒸気機関車が展示してあった。日本に戻ってから知ったが、沢木耕太郎の「深夜特急」のマレー半島の旅も、バンコクを列車で出て、このチュンポンから始まる。沢木は、駅前の売春宿に泊まったらしいが、数十年の歳月を経た今では、チュンポンの町も健全な地方都市になっていて、それっぽい怪しげな宿は見当たらなかった。










AC/DC - Rock 'N Roll Train





気になるニュース

朱建栄教授にスパイ容疑 中国当局が取り調べ

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1003X_Q3A910C1FF1000/

この人、よく日本のテレビに出て、中国当局の忠実な代弁者として、人民日報やCCTVそのままの見解を垂れ流していたので、印象に残っている人も多いだろうが、

http://j.people.com.cn/96974/97591/6702559.html

こんな人でも情け容赦なく拘束されるのか。ってことは、日本国内でスパイとして活動している中日友好のために地道な活動をしているあの人とかあの人なんかも、同じ目に遭う可能性があるんだろうね。

本人が拘束されなくても、大陸に家族や親族を残している人は、人質を取られているようなものだから、外国にいても、やっぱり共産党には逆らえないよね。外国人の場合は、某中国語の天才のように、役に立たなくなったらポイ捨てされるだけだけど、人民には容赦ないな。いや~、独裁国家は怖いっす。少々同情しますわ。

 


From The Beginning(新しい古い町)

毎度おなじみ、中国人があこがれる世界遺産の町雲南省麗江古城。




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中国全土から押し寄せる観光客の怒号と、ぼったくり飲食店やぼったくりバーから響きわたる轟音や悪趣味な照明で、とても世界遺産とは思えないような悲惨な様相を呈している麗江古城だが、古城の南側には観光客もあまり寄り付かない。早朝だと人通りもまばらで、ご覧のように静かなたたずまいである。

 


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中国語で古城とは、オールドタウン、つまり古い町や旧市街を意味し、この辺りは、古城の名前にふさわしい街並みが残っている。ひと昔前は、麗江のような辺境の地にわざわざやって来るのは、外国人バックパッカーと少数民族の研究者くらいのものだった。新市街には外国人向けのカフェが何軒かあったが、古城の中は民宿と地元民向けの小汚い食堂が細々と営業していたくらいで、中国とは思えないほど静かで居心地の良い町だった。

古城のすぐ北には農貿市場と近郊行きのバスターミナル、安食堂などがあり、近隣の村から出てきた少数民族で賑わっていたものだ。しかし、時は流れて、古城北側の市場やバスターミナルは全部ぶっ壊され、新しい古城になってしまった。




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この辺りは全部、この10年ほどの間に新しく作った古い街並みなのだが、旧市街を人工的に新しく作ってしまうという発想には、とてもではないがついていけない。古城は古いから古城なのであって、新しい古城なんてのは悪い冗談としか思えない。観光開発としては、言わば禁じ手なのだが、それをやってしまうのが中国という国なんだろうねえ。

麗江からバスで3時間ほど北に行くと、中国に不法占拠されているチベットのギャルタン(中国名:旧「中甸」、現「香格里拉」)という町がある。 シャングリラ(笑)という、この上なく悪趣味な中国名を付けられてしまったが、ギャルタンは、麗江よりも更に悲惨な状況で、旧市街を全部ぶっ壊して、中国風の新しい古城を作ってしまった。当然のことながら、旧市街に住んでいたチベット人は追い出され、漢族が入り込んで土産物屋やカフェを作って、プチ麗江となり、漢族の観光客でごった返している。

信じられないことが起きてしまうのが中国という国ではあるが、上海のハリボテビルも、雲南の新しい旧市街も、安っぽい作り物という点では同じなんだろうね。笑うしかないな。ま、麗江もチベットのギャルタンも、新しい古い町を除けば、今でもいい所なんだけどね。










Emerson, Lake & Palmer - From The Beginning



Elsewhere(南海の中国文化)

タイ南部のスラタニーにある中国寺院。



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寺院の右隣にあるのは福建會館という建物で、福建出身の華人の集会場か何かだろうか。


よほどのタイ通でもない限り、スラタニーなんて町を知っている人はいないと思うが、タイ南部のごくありふれた田舎町である。沢木耕太郎の「深夜特急」マレー半島編にも出てくるが、その沢木耕太郎自身も、数時間滞在しただけで通り過ぎたという、まあ存在感のない町だな。




大きな地図で見る


 

プーケットもそうなんだが、 このスラタニーも華人の多い町で、町の中心部にこんな立派な中国寺院が建っている。



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寺院の左隣には海南會館がある。



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海南會館という名前の建物は、他の町でもよく見かけたが、海南島出身者がそんなに多いとも思えないので、マレー半島の華人の集会場として一般的な名称なんだろうか?

スラタニーの町自体にはこれと言って見るものはないが、ナイトマーケット(夜市)は、他の町と比べても賑やかで、屋台の種類も多く、歩いていて楽しかった。



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スラタニーの夜市で中華チマキを売っていたおばさん。いい笑顔だねえ。さすがは微笑みの国というべきかな。陽気で愛想のいいタイ人も、中にはとてつもなく図々しく、コイツほんまに脳ミソあるんか?と思うような因業ババアなんかもいるんだが、このおばさんは笑顔の素敵な人だったなあ。翌朝、違う場所にある朝市を歩いていたら、このおばさんに、「お兄ちゃん、昨日のチマキおいしかった?」と声を掛けられたよ。



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そのおばさんが売っていた中華チマキ。1個25バーツ(約75円)で、中には豚肉や木の実が入っていて、上海あたりでよく食べたチマキと全く同じ味で、うまかったよ。タイにも、モチ米をバナナの葉でくるんだチマキのような食べ物があるが、この中華チマキは、華人が伝えた食文化なんだろうな。



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私がスラタニーで泊まった安宿の1階は、飲茶屋になっていて、朝から地元民で賑わっていた。宿のオーナーも、エプロンを巻いて飲茶屋で働いていたが、たぶん、宿は副業でやってるんだろうね。

タイ南部では、他の町でも飲茶屋をよく見かけたんだが、やはり、これも華人が伝えた食文化なんだろうな。ただ、タイ北部とは違い、南部では、華人と思しき人に中国語で話し掛けても、通じないことが多かった。同じタイに住む華人でも、北部と南部では、色々と事情が違うようだ。







Joey Tempest - Elsewhere



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