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チベットに平和と自由を!

Seven Years in Tibet(映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」)

この映画を見たのは約10年数年ぶりである。初めて見たときは、南米(と一部分チベットで)ロケをした高地の景色や中国が巧みにチベットを侵略していく様子に結構強烈な印象が残っていたのだが、さすがに細部はもう忘れてしまっていた。改めて見ると、物語は終始淡々と進んでいき、中国のチベット侵略の場面も、どこかしら他人事のような冷めた目線で描かれていたことに気付く。どこかの悪徳独裁国家が、自らの圧政を糊塗するために毎日毎晩1年365日飽きもせずインチキ洗脳テレビで垂れ流している200%捏造反日国策洗脳お笑い鬼子映画&ドラマと違い、中国に対する憎悪を掻き立てるのが目的の映画ではないので、これはこれでいいのかもしれない。

冒頭から嫌な奴オーラ全開で、家族からも登山隊の仲間からも疎まれているブラッド・ピット演じる主人公が、若き日のダライ・ラマやラサの人々との交流を通して、未だ見ぬ息子への想いを強めていく心理描写が秀逸である。かたくなに心を閉ざしていた息子と2人で山に登るラストシーンで、山頂にはためく雪山獅子旗の美しいこと。人の心を動かすのは武力ではなく、慈悲の心と愛情なのだという、中国に対する痛烈なメッセージなのだろうか。

チベット人が1日も早く祖国を取り戻し、そして、中国人が中華思想と共産党の呪縛から真に「解放」されることを願わずにはおれない(あと4000年かかるのかもしれないが…)。地味で重い内容だが、見終わった後には不思議な爽快感が残った(鬼子映画を見た後は、ふざけんなカス!としか思わないが…)。いい映画である。 

 

『50人のチベット』展のご案内

私の友人のチャリンコ男が、東京でチベット支援の写真展を開催するそうです。政治色一切なし、入場無料でコンサートなどもあるようなので、お近くにお住まいの方で興味のある方は、ぜひ見に行ってあげてください。この男も書いていますが、写真展に行ったからといって、多宝塔を買え、あやしげな健康食品を買え、聖○新聞を取れ、ア○ウェイの洗剤を買え、ヨガの講習会に来いなどと勧誘されることは、まあたぶんないだろうと思うので、安心して足をお運びください。

なお、この男、中国事情にも詳しいので(彼のブログを読むと分かると思います)、チベットだけでなく中国の話にも喜んで付き合ってくれるでしょう。

以下、彼のブログから転載。

523_2

やっと展覧会の骨子が出来上がりました。
ご家族・ご友人お誘い合せの上、ぜひ足を運んでいただけましたら嬉しく思います。

なお多くの方にこのイベントについて知っていただきたいので、この文章をそのまま転送したりブログなどに貼り付けて宣伝して下されば幸いです。

更になお、サブイベントの中にある「チベット横断チャリダー」とは何を隠そう不肖この私めにございます。

更に更になお、入場無料だからと喜んで行ってみたら、クソ高い壺を買わされたとか、わけの分らん宗教に勧誘されたとかは決して無いので安心して来て下さい。

会場でお会いできることを楽しみにしております。
よろしくお願い致します。

=================================

『50人のチベット』展
  --チベットって、知っていますか?--

【テーマ】
「チベット」という言葉がこんなに語られる時はないのかもしれません。
けれどもチベットのことを本当に知っている方がどれだけいるでしょう。
報道には現れない本当のチベットの姿を伝えたい。
ふと、かつてチベットを旅したわたしたちは思いました。
チベットの風に吹かれ、その大地にふれた50人それぞれにチベットの光輝く一瞬を写真や絵に表現してもらいました。
ご覧になった方ひとりひとりが何を思うかは自由です。
50人の心に咲いたチベットの花を、ぜひ感じ、ふれていただけたら嬉しいです。

チベットや世界の人々が平和に生きられますように。
わたしたちの世界や心が平和でありますように。

【主催者】
「チベット大好き」の会
 世代も仕事も住んでいるところも様々、でもチベットが好きで好きでたまらない人たちがこの展覧会に集まりました。
 <連絡先>
   kazumotomiwa@hotmail.com

【日時】
6月7日(土)11:00~19:00
6月8日(日)9:00~18:00

【場所】
泉の森会館 
 所在地:東京都狛江市元和泉1-8-12 小田急線狛江駅北口1分
 TEL:03-5497-5444
 URL:http://www3.ocn.ne.jp/~izumi/

【入場料】
全て無料

【展示内容】
<両日・2F>○終日 写真・絵画展
<土曜・2F>○11:00 法要 ~チベットの抗議活動で亡くなった方々の冥福をお祈りします~
        ○12:00 チベット横断チャリダーの旅を語ろう茶館 (18時まで開放。マイカップをお持ち下さい。)
<日曜・3F>○13:30 映画『TIBET TIBET』上映会(12:00より整理券を配布致します。椅子席80席は先着順。残り20席は桟敷席となります。)
        ○15:30 講演会 クンチョック・シタル氏(チベット仏教普及協会ポタラカレッジ)
        ○16:30 チベット音楽コンサート(予定)
 ※満員の際は入場制限をさせていただきます。ご了承下さい。(3Fホール最大100名)

【フライヤーの保管庫】
(二行にわたっている場合はカット&ペーストしてつなげてください。)http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/kazumotomiwa/lst?&.dir=/%a5%de%a5%a4%a5%c9%a5%ad%a5%e5%a5%e1%a5%f3%a5%c8&.src=bc&.view=l

【展覧会のホームページ】
http://tibet-daisuki.at.webry.info/

「チベットの苦悩、わが恥」

コピペで申し訳ないんですが、中国人の詩人唐丹鴻 (タン・タンホン、1965年生まれ)さんが書いた感動的な文章です。下に中国語原文へのリンクもあります。

中国人詩人によるチベットへの想い【チベットの苦悩、わが恥】

                          
唐丹鴻 (タン・タンホン、1965年生まれ) は四川省成都出身の詩人で、ドキュメンタリー映画監督でもある。1990年よりチベットに関する数本のドキュメンタリー映画を製作した。3/21付けで以下のようなエッセイを執筆し、中国国外でホスティングされている自身のブログ上で公開した。以下は、China Digital Timesによる部分英訳 からの翻訳記事である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10年以上にわたって、私は頻繁にチベットに入って長期滞在し、旅をしたり 仕事をしたりしてきた。そして、路上の若者から民芸職人、草原の遊牧民、 山村の呪医、そして省当局の一般職員、ラサの露天商、僧侶、寺院の掃除人、 アーティスト、作家に至るまで、ありとあらゆる種類のチベット人に出会ってきた。

私が出会ったそのようなチベット人の中には、数十年前にはチベットは独自の政府と宗教指導者、通貨、軍隊を持った小さな一国家であったと率直に私に語る人もいれば、無力感で押し黙る人や、漢人の私との会話を避ける人、気まずい話題だとためらう人もいた。過去に何があったとしても、中国人とチベット人は相互交流の長い歴史を持ち、その関係は両者で注意深く保持されるべきだと考える人もいる。また、鉄道プロジェクトや「北京路」「江_路」「四川-チベット路」といった道路に憤慨する人もいれば喜んで受け入れる人もいる。漢人はチベットに巨額の資金を投じているがそれ以上に欲しいものを得ていると語る人、漢人は開発に資金投入しているが同時に破壊も行っており、漢人が破壊しているものは正に我々チベット人が大切にしているものなのだと語る人…。私がここで言いたいことは、このようにチベット人たちも様々であるにしても、彼らは共通のものを持っているということだ。それは彼ら独自の歴史観であり、深い信仰心なのである。

チベットを訪れたことのある者なら、チベット人のこのような信仰心を肌で感じ取ったはずだ。実際、多くの旅行者が衝撃を受けるほどなのだ。そういう信仰の態度はチベット人の歴史を通して持ち続けてきたもので、日常の生活に現れている。これは、信仰心もなく今や金銭を崇拝するだけの漢人と比べると、非常に異なる価値観である。この信仰心はチベット人が最も大切にするものだ。彼らはこの信仰心を宗教的人格としてのダライ・ラマに投影する。

チベットを訪れたことのある者にとって、「よく見かけるチベットの光景」に違和感はないはずだ。ダライ・ラマを崇拝しないチベット人がいるだろうか。自分の所属する寺院にダライ・ラマの写真を掲げたがらないチベット人がいるだろうか。(我々漢人がかつて掲げさせられた毛沢東の肖像写真は政府によって印刷されたものだったが、ダライ・ラマの写真は外国からこっそり持ち込まれ、秘密裏に複写、拡大されるのだ)。ダライ・ラマを言葉で蔑みたいと思うチベット人がいるだろうか。ダライ・ラマに会いたくないチベット人がいるだろうか。ダライ・ラマにカター(儀礼用の白いスカーフ)を捧げたがらないチベット人がいるだろうか。

支配者が聞きたがる声のほかに、我々はチベット人の完全なる真実の声を聞いたことがあるだろうか。チベットを訪れたことのある漢人は、政府高官であろうが旅行者やビジネスマンであろうが、みなチベット人の真実の声を聞いたではないか。沈黙させられてはいてもそこかしこで響きわたる声を。

これが、チベット内のすべての寺院がダライ・ラマの写真を掲げることを禁じられている本当の理由なのだろうか。これが、すべての家を調べてダライ・ラマの写真を掲げる者を罰するためにあらゆる労働単位に役人を配置する理由なのだろうか。宗教的な祝日のたびに政府が信者を巡礼路で阻止する理由だろうか。公務員に対し自分の子どもたちをダラムサラで勉強させることを禁じ、これに反した場合は解雇され家屋も没収されるという政策の理由だろうか。微妙な時期にはいつも政府役人が寺院で会議を開いて僧侶に「党のリーダーシップを支持すること」や「分裂主義者のダライとは一切関係はないこと」を強制的に約束させる理由だろうか。これが、我々漢人が交渉の場につくことを拒否し常に非人間的な言葉を使ってダライ・ラマを侮辱する理由だろうか。結局のところ、これは「よく見かけるチベットの光景」を強調し、チベットの国民性のシンボルをより崇高なものにする、まさにその理由となっているのではないだろうか。

我々漢人は、「独立」の要求を放棄して現在は「中道」を唱導するダライ・ラマと話し合いのテーブルにつき、誠意を持って彼と交渉して、彼を通して「安定」と「調和」をなぜ実現できないのだろうか。

それは両者の権力の差異が大きすぎるからだろう。我々は人も多過ぎ力も強過ぎる。我々漢人は武力と金、そして文化的破壊と精神的レイプ以外に「調和」を実現する術を知らないのだ。

仏教を信仰する彼らは、因果と魂の輪廻転生を信ずるが故に、怒りと憎しみに対峙し、漢民族主義者たちが決して理解し得ない哲学を創り上げたのだ。私の友人である何人かのチベット人僧たちは寺院にいる「厄介者の僧侶」の類の僧侶にすぎないが、その彼らが私に「独立」についての彼らの見解を次のように説明してくれた。「実際、前世では私たちも漢民族だったかもしれず、来世で漢民族に生まれ変わるかもしれない。また、漢民族の中にも前世でチベット人だったり来世でチベット人として生まれたりするかもしれない。外国人も中国人も、男も女も、恋人も敵も、魂の世界では終わることなく輪廻する。輪が廻るかのように状態が生じて滅する。したがって独立を求める必要があるのだろうか」と。この種の宗教、この種の信者のことをコントロールしやすいと誰が考えられるだろうか。ここにパラドックスがある。彼らに独立の望みを諦めてほしいと思うなら、彼らの宗教を尊重して保護するべきなのだ。

最近、私はチベットに関するオンライン・フォーラム上で過激なチベット人による投稿をいくつか読んだ。いずれの投稿も大体は次のように言っている。「我々は仏教を信じないしカルマ(業)も信じないが、チベット人であることを忘れてはいない。我々の祖国を忘れてはいない。今、我々はあなた方、漢人の信念、すなわち"権力は銃身から生まれる"という考えを信じている。あなた方漢人はなぜチベットにやって来たのか。チベットはチベット人のものだ。チベットから出て行け!」

もちろん、これらの投稿の背景には、漢人「愛国主義者」からの膨大な数にのぼる投稿がある。ほとんど例外なく、漢人の返信には「彼らを殺せ!」「全滅させろ!」「血で洗ってしまえ!」「ダライ・ラマは嘘つきだ!」など、我々漢人がすっかり慣れ親しんだ暴力崇拝者の「激情」の言葉が並ぶ。

私はこれらの投稿を読むととても悲しくなる。これが業なのか……

先週、インターネット妨害に起因する情報のブラックホールに直面して通じない電話の受話器を置いた後、新華社が言ったことを私でさえ信じてしまった。すなわち、「チベット人たちが店舗に火を放ち、ただ生活のためにそこにいただけの罪のない漢人を殺した」ということを、奇妙にも私は信じてしまったのだ。そして私は今なおどうしようもなく悲しい。一体いつの日からこのような種が蒔かれていたのか。1959年の動乱のとき? あるいは、文化大革命中の大粛清のとき? 1989年の弾圧のとき? 彼らのパンチェン・ラマを自宅監禁して漢人の操り人形で置き換えたとき? 寺院において政治的な集会と告解が数限りなく行われていた頃? あるいは、壮麗な雪山で、ダライ・ラマに会いたがっていたからというだけで17歳の尼僧が銃殺されたとき? ……..

それはまた、些細なことのようにみえて恥ずかしい思いをした数々の瞬間かもしれない。チベット人が漢人の露天魚売りから生きた魚を買い、その魚をラサ川に放したのを見たときや、ラサの路上に漢人の乞食がどんどん増えるのを見たとき (彼らは漢人地域ではなくチベットで物乞いをするほうが簡単だということを知っているのだ)、さらに朝陽に輝く聖なる山々の山肌に鉱山から出る醜い傷跡を見たとき、私は恥じ入る思いをした。また、漢人エリートたちが、中国政府は莫大な資金をチベットに投じ経済政策はチベット寄りでGDPも急成長しているのに「チベット人たちはほかに何を望むのか」と不平を言うのを聞いたとき、私は恥ずかしくて仕方なかった。

なぜあなた方は人には様々な価値観があることを理解できないのか。あなた方、漢人は洗脳や武器の力、金の力を信じているが、チベット人の心の中には何千年間にもわたって崇高な信仰があり洗い流すことはできないのだ。あなた方が自分たちのことを「奴隷社会からチベット人を救う救済者」と主張するなら、私はあなた方の傲慢さと妄想が恥ずかしい。銃を携えた軍警察がラサの路上で私の横を通り過ぎるとき、私がラサに行くたびに幾重もの軍事基地が見えるとき……そう、漢人の私は恥じ入るのだ。

何よりも、私が最も恥ずかしく思うのは「愛国的な大多数」だ。漢人は殺戮による征服しか知らなかった秦の始皇帝の子孫だ。力で弱者を抑え込む狂信的優越主義者だ。銃の後ろに隠れて犠牲者に発砲しろと命じる臆病者だ。ストックホルム症候群 (*1)に苦しむのだ。凌遅刑(*2) や去勢といった「高度な」文化が生み出した残虐な狂人なのだ。「愛国的」旗を振る不健全な人間なのだ。私はあなた方を軽蔑する。あなた方が漢人なら、私は自分があなた方の一員であることに恥じ入る。

ラサは燃えている。四川省や青海省のチベット地域では銃撃が行われている。私でさえこれを信じる。実際、私はこの事実を信じる。「彼らを殺せ!」「全滅させろ!」「血で洗ってしまえ!」「ダライ・ラマは嘘つきだ!」などと叫ぶ数々の「愛国的」投稿の中に、私は写し鏡のようにチベット人過激派の姿を見るのだ。あえて言うが、あなたたち若者(「愛国的若者」)は漢人とチベット人との間の何千年にもわたる友情の念を破壊する優越主義者の漢人なのだ。民族間の憎しみを増幅させているのはあなた方なのだ。あなた方は当局を「強く支持」しているわけではなく、実際には「チベットの独立」を「大いに支持」しているのだ。

チベットは消滅しつつある。美しい平和なチベットを作っている精神も消滅しつつある。チベットは中国になりつつある。チベットがそうなりたくないと願うものになりつつあるのである。チベットは疎外される不安に直面したとき、ほかにどのような選択肢があろうか。独自の伝統と文化にすがりついて古の文明を蘇らせるのか? あるいは、漢民族主義者の残忍な恥ずべき栄光を助長するだけの自滅的行動に出るのか?

そう、私はチベットを愛する。チベットが一国家であれ一地方であれ、チベットが自由意志を持つ限り、私はチベットを愛する漢人だ。個人的には、私は彼ら(チベット人たち)にも私が属している大きな家族の一員であってほしいと思う。私は、管理や強制されるのではなく、自らの選択で対等の立場で生まれる国家間および民族間の関係を尊重する。民族間、国家間で相手を恐れさせ従わせる「強権」感覚には興味がない。そのような感覚の背後にあるものにはまさに吐き気をもよおすからだ。数年前にチベットを後にしたが、惜別の念は私の日々の生活の一部となっている。私は歓迎される漢人としてチベットに戻りたいと痛切に願う。対等な隣人として、あるいは家族の一員として、真の友情を育むために。

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■訳注:
*1. ストックホルム症候群:犯罪被害者が、犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くこと (Wikipediaより)
*2. 凌遅刑:清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつで、生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑
(Wikipediaより)

邦訳:
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080321_danhong.html
英訳記事:
http://chinadigitaltimes.net/2008/03/tibet-her-pain-my-shame/
原文(中国語、ブログ):
http://blog.dwnews.com/?p=34905

チベットは今

関西在住のチベット人歌手バイマーヤンジンさんが、ブログでこんなことを書いておられる。

しかし、故郷の状況は、日本にいる私がマスコミを通じて知ったものよりもはるかに厳しいものでした。特に今、現在の取締りには恐怖すら感じています。

チベットは今、完全に閉鎖され、事実上の戒厳令下にある。バイマーヤンジンさんは、具体的なことを書いておられないが(立場上書きたくても書けないのであろう)、想像することすらおぞましい事態が進行中なのであろう。

長野の聖火リレーで福原愛ちゃんの前に出て「フリー・チベット!」を叫び、チベット国旗を広げようとして逮捕されたのは、台湾人ではなく、亡命チベット人のタシィ・ツゥリンさんである。結果的に聖火リレーを妨害してしまったのは事実だが、暴力を振るおうとしたのではなく、祖国の旗を広げようとしただけである。祖国と民族を救うために日本の法律を破ってしまったタシィ・ツゥリンさんの行為を、道徳的に非難することはできるだろうか? 私にはできない。

もし私がタシィ・ツゥリンさんの立場だったら、聖火リレーを冷静に眺めていることができるだろうか? 私にはできない。聖火リレーやオリンピックは、人命や民族の尊厳よりも大切なものなのだろうか? 私にはそうは思えない。

とあるチベット寺院に遊びに行ったら、少年僧が宿坊に招待してくれた。

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見ず知らずの外国人である私に、バター茶をふるまってくれ、ツァンパをごちそうしてくれた。

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まだまだあどけない顔のこの少年僧も、もう立派な青年僧になっただろうか。無力な自分にできるのは、ただ無事を祈ることだけである。

平和行進の舞台裏

参加してみて気付いた点をいくつか。

1、中之島の集合場所に行ってみたら、何となく、関空や成田の税関で別室送りにされそうな人が多い雰囲気だった(要するに、インドあたりを放浪してそうな雰囲気の人が多かったということ。人のこと言えるんか?)。しかし、出発時刻が近づくにつれて、普通のいでたちの人が増えてきた。

2、参加者は女性が多かったが、男性だけのグループや、家族連れの姿も。老いも若きもいて、年齢層はばらばら。デモに参加するのは初めてと言う人も多かった。

3、在日チベット人の方も何人か参加され、行進の後のあいさつで、非常に感謝しておられた。

4、主催者の方にFREE TIBETバッジをもらい、雪山獅子旗(チベットの国旗)を貸していただいた。

5、亡命政府があるダラムサラのチベット支援コンサートで歌われた「上を向いて歩こう」を何回か歌った。

6、基本的に静かな歩みだったが、「フリー・チベット!」を叫ぶ人、楽器を鳴らしながら歩く人など、参加形態は人それぞれ。統制が取れていないといえばそうだけど、まあいいんじゃなかろうか。

7、交通整理のおまわりさんは、言葉遣いも丁寧で、非常に親切だった。見直したぞ、大阪府警。

8、チベットの民族衣装、和服、アオザイなどを着て参加する女性の姿も。

9、行進は終始平穏で、沿道からは「がんばれ!」と応援してくれる声も。

10、JR難波駅近くの小さな公園で行進は無事終了。主催者とチベット人のあいさつの後、参加者は三々五々ミナミの町に消えていった。

ざっとまあ、そんな感じです。

「チベットに平和を」主婦ら400人、御堂筋を行進

朝日新聞大阪版の記事

「チベットに平和を」主婦ら400人、御堂筋を行進

2008年04月28日00時59分

 チベットや世界の平和を訴えようと、インターネットを用いた呼びかけや口コミで集まった女性ら約400人が27日、大阪市の御堂筋を約4キロにわたって平和行進した

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インターネットでの呼びかけなどに応じて集まり、チベットの平和を願って御堂筋をデモ行進する人たち=27日午後、大阪市中央区、日置康夫撮影

 参加者らは大阪市役所前からなんば周辺まで、チベット騒乱で亡くなった人の氏名などが記された横断幕を掲げながら、弔いの花を手に歩いた。

 行進を呼びかけた同市の主婦日野るり子さん(35)は「チベットの独立という政治的主張ではなく、命の尊さや信仰の自由を訴えるため、賛同してくれた人たちが集まってくれた」と話した。

新聞記者やテレビ局だけではなく、某独裁国家の領事館関係者らしき人がしきりに写真を撮っていたような気がするんだが、気のせいかな。そこらへんの一般ピーポーが旗持って歩いているのが、そんなに気になるのかな?  それとも、日本の写真を撮るのが趣味なのかな?

記事では「女性」、「主婦」って書いてるけど、男も結構おったぞ。

4/27(日)大阪「Free Tibetピースウォーク」

チベット動乱弾圧から49日の追悼の意をこめて、一人一人が一輪の花を持って歩きます。静かな、でも力強いピースウォークをしたいです。 「愛」の反対語は「無関心」。小さなことでも何かしたい。そんな気持ちで始めます。みなさんの「愛」でチベットに、世界に、 (そして私たち一人一人にも)「平和」が訪れる事を祈りつつ歩きましょう。

という趣旨のイベントが大阪であり、私も参加してきました。

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中国に対する非難やオリンピックに反対するスローガンは一切なし。チベット、そして世界の自由と平和を祈って、晴天の御堂筋を静かに歩いてきました。

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街頭デモの類に参加するのは生まれて初めてでした。心斎橋あたりでは、中国人や西洋人の観光客が物珍しそうに写真を撮っていました。一輪の花を持ち、チベット国旗を振るだけの静かな行進が彼らの目にどう映ったのかを知る由はないけれど、大阪で行われた本格的なチベット支援のイベントとして非常に意義深いものであったと思います。

主催者の方々、それぞれの思いで参加された方々、おつかれさまでした。そして、交通整理に当たられた大阪府警のおまわりさん、ありがとうございました。

何のための聖火リレー?

ついに日本の長野で行われた北京五輪の聖火リレー。いろんな人がいろんな思いでリレーの模様を眺めていたことだろう。

大方の予想通り、チベット支持者、在日中国人、軍艦マーチ軍団その他が入り乱れ、大混乱になってしまった。一体、何のための聖火リレーなのか、私にはさっぱり分からん。莫大な税金を使い、逮捕者や負傷者を出し、偏狭な民族主義を助長し、憎しみを増幅しただけの無意味な祭り。まったく、ばかげているとしか言いようがない。

こんな事態を惹き起こした最大の原因は、国際社会の忠告を無視して人殺しや人権侵害をやめようとしない中国政府と、中国政府に盲従している中国人にある。長野を埋め尽くした赤旗と、自らを被害者だと勘違いしている中国人の陶酔した表情を見ていると、不気味なことこの上ない。

団結するのが何より苦手な中国人だが、大躍進や文革などの狂気に向かって突き進んでいくときだけは、なぜか一致団結してしまう。カルフールで暴れ、聖火リレーの行き着く先々で赤旗を振り回して時代遅れのスローガンを叫んでいる様子は、まさに現代の紅衛兵である。中国が狂気の時代に後戻りしないと誰が断言できるだろう?

善光寺が聖火リレーの出発地を辞退し、チベット人中国人を問わず一連の騒乱の犠牲者を慰霊したのは英断だった。日本の宗教界も捨てたものではない。しかし、中国に対して何も言わない日本のスポーツ界、スポーツ選手には心底がっかりした。スポーツは尊いものだし、私はスポーツをするのも見るのも大好きである。

ただ、スポーツは人命や自由ほど重要ではない。その意味では、たかがスポーツである。また、人がスポーツを楽しめるのは、平和や人権があってこそである。社会に対して大きな影響力をもつスポーツ選手が、「スポーツと政治は別」などとのんきなことを言っていていいのだろうか。

登山家の野口健さんが、しばらく前に、ご自身のブログでこんなことを書いていた。

もう間もなく日本でも聖火リレーが行われるようですが、これほどまでに中国の実態が明らかになり、また血が流れているにも関わらず、それでも「聖火リレーは光栄なことです」などとニコニコと笑いながら聖火リレーに参加すれば、それこそ滑稽でしかない。

私も、同感である。あんな聖火リレーに参加して、ニコニコしながら走ることに何の意味があるのだろう?

大混乱の聖火リレー

ロンドン、パリの聖火リレーは、チベット支持者や人権団体の妨害行為で前代未聞の大混乱。独裁国家の大虐殺五輪にふさわしい聖火リレーである。

ヤフーの中国ニュースには、こういう記事が出ていた。

<聖火リレー>「偉大な祖国」「西側の治安に疑問」度重なる妨害に国民は怒り沸騰―中国

4月8日17時40分配信 Record China

2008年4月8日、先月24日にアテネからスタートした聖火リレーが世界各地で妨害工作に遭っていることを受けて、中国国内では国民の怒りが沸騰している。ことにパリやロンドンで起こったリレー妨害の報道について、国内サイト上では多くのネットユーザーが過激なコメントを寄せた。

以下に中国の大手ポータルサイト・網易(NETEASE)に寄せられた代表的なコメントを4つに類型化した。

その「代表的なコメント」とやらに余計な突っ込みを入れてみよう。

1)チベット独立勢力への批判
・彼らは卑劣な本性を世界にさらした

→「卑劣な本性」では、中国共産党の右に出るものはいないと思うが…。

・このような恥知らずの集団には未来はない、近く必ず消滅するだろう

→いずれ必ず消滅するだろう、宇宙のゴミ中国共産党。

2)西側諸国への批判
・イベントの保安体制、国家の治安に問題あり。これはフランスの恥だ

→フランスは、これ以上はないという警備体制を敷いていた。フランスの治安には何の問題もない。警察力だけでは、自由を抑圧することはできない。それが、中国を除く、世界の常識である。

・中国の面子を潰した西側諸国とは断交すべき

→断交したいならすれば? 困るのは中国だと思うけど。

・西側諸国での聖火リレーを取りやめよう

→大賛成! やめよう! 聖火リレーは、中国(チベットとウイグルはもちろん除く)と北朝鮮だけでやってくれ。血で汚れた聖火リレーなんぞ何の意味もない。

3)愛国心の鼓舞
・諸国は中国の強大さ、偉大さに嫉妬している

→中国名物、精神勝利法の真骨頂。物事をここまで都合良く解釈できるのは、世界でただ中国人だけである。

・この程度でわが祖国の勢いを止めることはできない

→あさっての方向に走り続ける中国を止めることは、誰にもできまへん。

・この機会に国民は一致団結、奮起し国家の威容を示そう

→団結することが何より苦手な中国人が何を言うとんじゃ?

4)冷静な分析・指摘
・五輪精神を汚す行為に平和を愛する市民は落胆している

→落胆しているヒマがあったら、世界標準の五輪精神を勉強しなさい。

・スポーツと政治を混同すべきではない

→サッカー場で日の丸を燃やしたり、日本大使のクルマを壊したり、スタジアムに政治を持ち込んで数々の暴挙を繰り広げていたのは、どこの国の人民だっけ? 中国人ならではのご都合主義丸出し。

・「何故、こうなったのか?」を誰も分析しないのだろうか?

→唯一のまともな意見である。中国人のみなさん、聖火リレーがなぜ妨害されるのか、少しは謙虚に考えなさい。

(翻訳・編集/愛玉)

え~と、やっぱり、中国に同情する気は全くしません。中華思想と自らの侵略行為が招いた必然の結果で、近代オリンピック史に燦然と輝く恥の記録。

恥の上塗りをしたくないなら、チベット侵略その他の人権侵害を即座にやめて、北京オリンピックの開催も中止しなさい。

中国語の元ネタを探そうかと思ったが、あまりにもアホらしいので、やんぴ。

虐殺五輪万歳~!

Beijing2008

宗教者の声

4月5日の土曜日に関西ローカルで生放送された僧侶の声。

いま私たち日本の仏教者の真価が問われています。チベットでの中国の武力行動によって宗教の自由が失われることに、心から悲しみとやむにやまれぬ抗議を表明せずにはいられません。 私たちはあくまでも宗教者、仏教者として僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを もはや黙って見過ごすことができません。チベット仏教の宗教的伝統をチベット人の自由な意思で守るということが大切な基本です。

みなさんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。 日本の各宗派、教団は日中国交回復の後、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。 私も中国の寺院の復興に携わりました。 しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。ほとんど自由がなかった。これからもそうだと全国のほとんどの僧侶は知っています。

そして日本の仏教教団がダライ・ラマ法皇と交流することを北京は不快に思うことも知られています。 あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると私は考えています。しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教会に目立った行動は見られません。 中国仏教会が大切な友人であるなら、どうして何も言わない。しないで良いのでしょうか?

ダライ・ラマ法皇を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。 私たちは、宗教者、仏教者として、草の根から声をあげていかなければなりません。 しかし、私の所属する宗派が中国の仏教会関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いし、 このように申し上げるのは私たちと行動を共にしましょうということではないのです。 それぞれのご住職、壇信徒のみなさんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。

オリンピックに合わせて中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。 この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。 もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないのならば、私たちは、これから、信者さん檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょう。 私たちにとって、これが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。

書寫山圓教寺執事長大樹玄承 平成20年4月5日

1人でも多くの人に動画を見ていただきたい。日本の仏教会から届いた感動的なメッセージです。

僧侶同士の交流も中国政府を通さなければならないことを、今回初めて知りました。人の心を銃口で抑えつけることはできない、目先の経済的な利益やハコモノ、鉄道よりもっと大切なことがある。そんな当たり前のことに中国政府が気付くのは、一体いつになるのでしょうか。

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